2017年08月12日

【松本市岡田】森で暮らす(森野澄香さん)
【松本市岡田】森で暮らす(森野澄香さん)

こんにちは。「FM CROW」ラジオパーソナリティの檜原優(28)独身です。本日は、九十九長屋商店街を少しだけ飛び出しまして、商店街の北にある「岡田」と言うところで山暮らしをしている方を紹介したいと思います。では、簡単ではございますが、経歴をご紹介いたしまして、インタビューの様子をお伝えしたいと思います。


森野澄香(もりのすみか)
1985年3月生まれ。兵庫県尼崎市出身。京都の大学を卒業後、東京の化学肥料会社に就職。しかし3年目に化学物質過敏症と診断され27歳の春、同社を退職。その後、しばらくオーストラリア、ニュージーランドなどを放浪し、国内では松本を訪れる。その際、街が近い里山の魅力に取りつかれ、移住を決心。松本市岡田に500坪の森林を見つけ、貯金をはたいて480万円で購入する。現在は森林を開墾し、住居、畑、牧場などを手作りし「無理のない範囲」での自給自足を目指している。


檜原: 森野さん、はじめまして。
森野: はじめまして。
檜原: 本日は森野さんのお家であります岡田の森でインタビューをさせていただいています。
森野: よろしくお願いします。
檜原: それにしても、素敵な空間ですね!森の中に広場があって羊が自由に遊んでいる。
森野: 放牧中なんですよ。
檜原: また、広場に面して、可愛らしい小屋や畑が点在しています。これらは森野さんが一人でやられたんですか?
森野: 基本的にはそうです。0.7トンの小型のユンボとチェーンソーで大体何とかしました(笑)
檜原: 広場になる前は周りにあるような雑木林といった感じだったのでしょうか?
森野: そうですね。手入れもされていなく木材にもならなそうな木が鬱蒼と生い茂っていましたね。
檜原: 大変ご苦労されたと思うのですが、一番苦労されたことは何でしょうか?
森野: うーん。開墾は力があれば何とかなるんですけれど、小屋を作るときは知識が何もなく苦労しました。
檜原: 水道やガスなどは引かれているのですか?
森野: 岡田は市内でも高いところにあるのであまり水が出ません。ですので水道だけは引いていますね。
檜原: 電気やガスなどのライフラインは?
森野: ガスは、ガスやさんにお願いしてプロパンガスの小型のものを使っています。電気は車のバッテリーを利用した蓄電池に太陽光発電で電気をためています。
檜原: 不便な生活ではないでしょうか?
森野: 不便?いえいえ(笑)水も出て、お湯も沸かせて、電気も使える。なのに森の中でゆったりと毎日を過ごせる。不便と言いますか贅沢だと思っています。
檜原: なるほど、それは確かに贅沢そうですね!普段はどのようにお過ごしになられているんですか?
森野: そうですね。朝はだいたい日の出前に目が覚めるので、歯磨きしながら畑に水をまきます。それで何個かちょうどいい野菜を収穫して、羊小屋から羊を広場に放牧しますね。それが終わったら収穫した野菜でサラダを作って、羊のミルクで作ったヨーグルトで朝食に。
檜原: ふむふむ。
森野: 食べ終わったら、あとは基本的に自由です(笑)気候が良ければ広場に寝転がって本とかを読んだり、これがあったら便利だなと言うものを考えてみたり。そんな感じで日暮れまで過ごします。
檜原: すごい!毎日が日曜日のような贅沢さですね!!でも、やはりお金もいくらか必要かと思われるのですが。。
森野: そうですね(笑)ですので、夕方から週3回アルバイトをしています。これで5万円くらい。
檜原: その5万円の使い分けが気になるところですが。
森野: 1万は貯金です。何があるか分からないですから。それで2万円は税金とか年金とかですね。のこり2万円がお肉買ったり雑貨を買ったりのお小遣いです。
檜原: こう見ると税金がものすごい家計を圧迫していますね・・・おそろしい。。
森野: まあ、国民の義務は一応、ね(笑)
檜原: でも、そもそもなんでこんな生活を始めたのでしょうか?
森野: そうですね、基本的には都会の暮らしに嫌気がさしたというのが一番でしょうか。
檜原: と、言いますと。
森野: 何て言うんですかね。働いても働いても、最初の船に乗り間違えたら、どんなに頑張っても生活は苦しいという閉塞感と言うか。
檜原: ああ、それ分かります。
森野: 未来もそんなに明るいものが期待できない世の中で、自分は何をして生きていきたいのだろうと思いまして。
檜原: なるほど。
森野: そしたらたまたま松本で山林が安く売りだされていることを知りまして。
檜原: ほう!
森野: もう、見せてもらったら一気に気に入っちゃって貯金叩いて即決です(笑)
檜原: それで、森野さんの目指す生き方は見つかりましたか?
森野: まだです(笑)でも、自分で家を作って、畑を耕して一日一日を大切に生きているという感覚を持っています。それが私のまだわからない「目指す生き方」のヒントになっているような気がするんです。
檜原: 閉塞した社会、格差社会、いびつな資本主義からの脱却・・・。
森野: むしろ野生動物のようにウッホウッホホやってたほうが私は合っているかもしれません。
檜原: 少しわかります。疲弊した世の中からの脱却。本来の生きかたを取り戻すと言いますか。
森野: ですです。
檜原: 今日はありがとうございました。また機会がありましたらお話を聞かせてください。
森野: こちらこそありがとうございました。九十九長屋商店街にはいつもお世話になっているので、FM局の前も通ってみますね。
檜原: そうしていただけると幸いです(笑)



森野さんは帰り際に、畑で採れた野菜を山ほど持たせてくれた。
彼女の昔の写真を見せてもらったが、今の彼女と似ても似つかないくらいやつれていた。
今の生活をとても楽しんでいるのだろうなと、とても印象付けられた。

この世に生きるという意味を今一度私のまだ少ない人生経験を通して考え直してみようと思った。

(文・FM CROWパーソナリティ 檜原 優)


※文章の大半(全部)が虚偽、虚言、妄想の類で塗り固められています。ご視聴の際は十分ご注意ください。

  


Posted by 二一宮 帆丘 at 20:06Comments(0)44*商店街を飛びだして*

2017年08月11日

【松本市三城】長野県美ケ原高原高等学校(三城本部・沢村分校・乗鞍分校)
【松本市三城】長野県美ケ原高原高等学校


【概要】

長野県美ケ原高原高等学校(ながのけんうつくしがはらこうげんこうとうがっこう)は長野県松本市三城にある公立の高等学校。
松本市三城の他に松本市乗鞍高原および松本市沢村に校舎を持つ。設置学科は「普通科」「高地畜産科」「高地機械科」「高地建築科」。
日本において最も高い位置にある高等学校である。

 (所在地)
  三城本部(松本市三城 標高1520m)
  羚羊寮(松本市三城 標高1580m)
  沢村分校(松本市沢村 標高570m)
  乗鞍分校(松本市乗鞍高原 標高3006m)

 (設置学科)
  普通科    280名(7クラス)
  高地畜産科  40名(1クラス)
  高地機械科  40名(1クラス)
  高地建築科  40名(1クラス)


【沿革】

1878年(明治11年) - 山間部への中等教育を目指し私立「山辺三城塾」が開校
1881年(明治14年) - 公立三城中學校となる。
1884年(明治17年) - 長野縣中學校設立にともない山辺三城実科中學校となり畜産科設置。
1893年(明治26年) - 現・松本市沢村に支校を設置。冬期間の講義を行う。
1896年(明治29年) - 「山に駒草」の校章を制定。
1899年(明治32年) - 長野縣立三城中學校となる。畜産科廃止。
1902年(明治35年) - 帝国陸軍士官学校「乗鞍山岳特殊学校」設立。
1918年(大正07年) - 「岳(やま)清らに」の校歌を制定。
1920年(大正09年) - 長野県令38号により、長野縣三城中學校に改称。
1934年(昭和06年) - 畜産科再設置。
1938年(昭和10年) - 沢村支校を沢村分校に改称。
1947年(昭和22年) - 陸軍の解体に伴い、乗鞍山岳特殊学校校舎を引き継ぎ乗鞍分校となり「高地機械科」「高地建築科」を設置。
1948年(昭和23年) - 学制改革により長野県美ケ原高原高等学校となる。
1970年(昭和45年) - 県下で恒例の学校登山において前代未聞の南北アルプス縦断(24泊25日)を慣行する。
1978年(昭和53年) - 開校100周年記念事業として三城校舎および、畜舎を改築。
1998年(昭和10年) - 開校120周年記念事業として乗鞍校舎および沢村校舎の保存改修、新棟建設。
2001年(平成13年) - 旧・乗鞍校舎(旧・乗鞍山岳特殊学校 予科練棟、講堂)が重要文化財に指定される。
2016年(平成28年) - 高地の過酷な環境における研究成果が認められJAXAのエウロパベース計画協力指定校となる。


【特色】

・特殊な立地環境から一年次は全寮制となり、二年次以降はバイクもしくは自家用車での通学が認められている。
・特殊学校時代の高地に建設する軍事施設などのノウハウを活かし、山岳建築科では山小屋の建築設計の委託を受けている。
・1970年より行われている学校登山(南北アルプス縦断)は本校の伝統行事となっている。


【ロケ地として】

 「暁のピクニック」(2001年)
  本校の伝統行事「南北アルプス縦断」における1985年の遭難事件を取り扱ったドキュメンタリー風の映画。(本校舎・乗鞍校舎)

 「大脱走!!~ぼくらと羊のアツい夏~」(2004年)
  美ケ原高原にある「信州高原高校」が舞台の青春コメディ映画。(三城校舎)

 「標高三千米」(2006年)
  戦時中、ロケットエンジン開発に人生を駆けた陸軍士官たちの生きざま。(旧・乗鞍校舎)

 「サナトリウム」(2006年)
  大正時代、不治の病とされた結核患者が入院する「美ケ原高原療養院」で明るく生きようとする患者たちの日常を描く。(本校舎)

 「牛ガール!」(2011年)
  畜産科に通う女子高校生を主人公にした青春映画。(本校舎)

 「蚕の町に」(2016年)
  明治から大正にかけて、地方都市の日常を描く(沢村校舎)

 「種蒔く技師」(2017年)
  1934年。35年ぶりに再設置された畜産科。1899年「畜産科最後の卒業生」とされた山寺技師が母校に戻り荒廃した牧場を再建していく感動物語。(本校舎・沢村校舎)

はアニメ)


※文章の大半(全部)が虚偽、虚言、妄想の類で塗り固められています。ご視聴の際は十分ご注意ください。  
  


Posted by 二一宮 帆丘 at 11:59Comments(0)44*商店街を飛びだして*

2017年08月10日

【萩町】萩町ミッドナイトマーケット
【萩町】萩町ミッドナイトマーケット
(ハギマチミッドナイトマーケット)


【概 要】

萩町の公民館脇の路地を西へ下った一角にある十店舗ほどの商店群。店舗のほとんどが日の入りから夜明けまでの営業をしており、コンビニエンスストアなどがない商店街エリアの深夜の顧客層を取り込むことに成功している。


【店 舗】

 1、萩町ウォークイン(飲食店)
   20:00~06:00
   和食、ラーメンからハンバーグ定食まで幅広い料理を楽しめる定食屋。持ち帰りもできる。

 2、東亜堂薬品(薬類販売店)
   18:00~08:00
   薬局ではない。薬販売の許可を受けたお店。トイレットペーパーなども売ってる。

 3、マルトマート(酒・たばこ・菓子)
   18:00~05:00
   入口すぐの3坪ほどの暗がりに立ち飲みできるスペースがある。

 4、ファッション&おしゃれの店 とんぼ (衣料品)
   22:00~06:00
   学生服、レディスファッション、紳士服、小物類。夜中にお洒落がしたくなったらここ。

 5、松本電機ストア(家電)
   21:00~09:00
   地元では「松電ストア」の愛称で呼ばれる。深夜のエアコン設置工事なども請け負う。

 6、ツクヨミ書店(書店)
   17:30~03:00
   読むと眠くなるような難しい本が多い。コミックスなどはおいていない。経済、医学、理工学の専門書も取り扱う。

 7、謡う!謡う!!三羽烏荒物店(雑貨・荒物)
   20:00~06:00
   戦後、三姉妹が始めたお店。三人とも子がいなく、長女が養子を取り三人で育てた。今は三代目が切り盛りする。

 8、へんなはこ(金物・陶器)
   20:00~06:00
   跡取りが居らず閉店しかけていた店舗を信州大学の学生がサークル「magic box」を設立して運営。

 9、越後青果(八百屋)
   20:00~05:00
   江戸時代、新潟県長岡市から来た夫婦が始めたお店。12代目。

10、魚草(魚屋)
   20:00~05:00
   女鳥羽川で採れた鮎、岩魚、フナなどを路上販売していたのがもともとの由来。

11、銀座ミート(肉屋)
   20:00~05:00
   店名はこの周辺を戦後「北部銀座商店街」と言っていた名残かと思われる。豚肉が有名。



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Posted by 二一宮 帆丘 at 11:59Comments(0)22*商店情報*

2017年08月09日

【安原町】九十九長屋商店街連合会館
【安原町】九十九長屋商店街連合会館 
      (ツクモナガヤショウテンガイレンゴウカイカン)



【概 要】

1999年(平成11年)11月11日に竣工した木造地上5階地下1階建(塔屋あり)の複合施設。
着色が施された障子紙を使用した建具、ステンドグラス、提灯、ランタンなどの装飾を施し、和洋折衷の大正モダンな雰囲気を醸し出しており、バス通りに面していることから商店街のランドマークのような位置づけとなっている。

愛 称  : 御殿(ごてん)、廓(くるわ)など
所 有  : 社団法人 九十九長屋商店街連合会
管 理  : 社団法人 九十九長屋商店街連合会
敷地面積: 603.25㎡
延床面積: 1488.10㎡
構 造  : 木造(一部鉄骨造)地上5階地下1階建(塔屋あり※地上22m)
施 設  : 展望楼閣(塔屋)、連合会事務所(3~5階)、多目的ホール(1・2階)、
        FM CROW(3階)、会議室(2階)、倉庫(1階)、地下通路(地下1階)、
        9×9庭(外部)
総事業費: 7億9600万円



【沿 革】
 
1933年04月(昭和08年) 合資会社 九十九長屋商店街連盟を設立
1937年04月(昭和12年) 株式会社 九十九長屋商店街連盟に改組  
1938年11月(昭和13年) 九十九長屋商工会館 竣工(木造2階建て)
1988年08月(昭和63年) 会館の老朽化により、連盟内に「新会館設立準備室」を設置 
1993年04月(平成05年) 新たに二つの商店街を組み入れ、一般社団法人 九十九長屋商店街連合会に改組
1996年05月(平成08年) 建設場所を安原町にすることを決定
1997年03月(平成09年) 着工
1999年11月(平成11年) 竣工


【その他】

1、建設当時、松本市建築指導課および松本広域消防局職員、長野県松本保険事務所へ賄賂(合計1600万円)を渡し、建設許可を受けた違法建築であり、市役所関係者を中心に24名の逮捕者を出す大事件となった。なお、商店街連合は建設許可の一連の事件については一切かかわっていないとして、施設を利用し続けており、かかわったとされる設計事務所に対して数年に一度程度で賠償金約9億円の支払いを求める「形式上」の裁判を行っていた。(※当該設計事務所は2007年付で倒産したため、事実上賠償金を請求することはできなくなった。)

2、完成時、その豪華な装飾の数々に地域住民は言葉を失ったという。(所属する商店街および地域住民への説明では用途や外観についての説明は受けたが、装飾等については一切触れられていなかった)

3、多目的ホールおよび、会議室(3室)は商店街エリアとその周辺に在住もしくは通勤、通学者ならば誰でも自由に借りることができる。貸出料は市内同程度・同用途の公共施設の料金のおおよそ半額を設定している。




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Posted by 二一宮 帆丘 at 10:39Comments(0)33*オトナの施設見学*

2017年08月05日

第43回松本ぼんぼん、本日開催―松本市
第43回松本ぼんぼん、本日開催―松本市


 本日、夕方5時より松本市の中心市街地で夏祭り、第43回松本ぼんぼんが開催される。踊りに参加するのは市内外からの約24,000人。県内最大規模の夏祭りである。

 サンバ調のこっ恥ずかしいメロディに乗せリズミカルに踊るのが特徴である。最初こそは恥ずかしいが踊る人こそおおけれども見ている人は少数なのでそのうち羞恥心も消え踊りに熱中することができ、見物するより参加する型の夏祭りと言えよう。

 しかしながら、観光客数は松本市の発表では例年20万人を超えるという。踊り手の約10倍の人が祭りを見ているということらしい。今年で参加30年目という市内在住の男性(58)は「そんなに見ている人いる?20万人って松本市民とほぼ同じ人数が中心市街地に集まってるってことですよ?本当だったらすごいなあ」と目を丸くさせた。

 上記のように中心市街地に多数の参加者、観光客があふれる中で課題も多い。まず、どのように観光客数を算定しているのか。この数値によりどのような施設をどのように設置し、どのように運営するかに関わってくる基本的な数値だ。よもや、何となく見て「うん!今年は100万人!」なんて算定方法ではないと思われるが、多数集まる人を事故など無くスムーズに誘導する方法は今後の検討課題と言えよう。

 主催する商工会議所にとっては、この賑わいを普段の商店街の賑わいにどのように流すか。松本市としては「安心・安全」に「健康寿命を延伸」し「美しく生きる」方法を模索する必要があるだろう。美辞麗句を並べ立て喧伝してみても、法のセーフティネットにかからない社会的弱者がいることを忘れないでほしい。

 少なくとも私、檜原優(28・独身)は大学の講義3コマとラジオパーソナリティとして仕事をし、年収150万ほどである。実家の固定資産税・都市計画税、国民健康保険税、国民年金、所得税、重量税、消費税などを支払ってみたら年間85万円ほど(月にすると7万5000円!)で生活している。おかげでエンゲル係数は50をとうに超えている。あまりにも苦しいので市に相談に行ってみたところ、資産があるということで受けられるセーフティネットはなかった。

あ…また私の悪い癖で身の上金話をしてしまいました。申し訳ありません。。。

ともあれ本日は松本ぼんぼん!参加される皆様、お楽しみください!!


(記事:FM CROW ラジオパーソナリティ 檜原 優)



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Posted by 二一宮 帆丘 at 07:55Comments(0)00*FM CROWニュース*

2017年08月04日

【松本市田町】翌檜湯(アスナロユ)
【松本市田町】翌檜湯(アスナロユ)

【概 要】

所在地:松本市田町
営業時間:午後1時~午後11時
休業日:毎月5、15、25日

松本市田町にある公衆浴場。朝の早い九十九長屋商店街連合会立卸売市場が近接することから市場関係者から周辺住民まで幅広い時間帯で利用されるため、午後の早い時間から営業をしている。作りは東京タイプに分類され、外観は唐破風屋根と大屋根、ペンキ絵は能登半島(富山湾)である。また、冬至など季節ごとに、柚子やリンゴ、菖蒲などが湯に浮かべられる。2000年の開業150周年時には土用の丑の日に浴槽いっぱいにウナギが泳いでいて評判になる。


【沿 革】

1850年??月(嘉永02年) 少なくともこの時期に飯田町で営業していたことが、蔵に残された資料で明らかになっている。(男女混浴)
1911年11月(明治44年) 現在の東京銭湯型(男女別)に近い形で田町に移転し営業を始める。
1937年05月(昭和12年) ボイラー室を改築。5丈(16.5m)の煙突を設置。
1941年06月(昭和16年) 燃料不足により、夏期営業は水温35度の「極ぬる湯」のみの営業となる。
1948年04月(昭和23年) 通常営業再開。
1952年04月(昭和27年) 九十九長屋商店街連合会に加盟。
1956年10月(昭和31年) 約2年かけての改修工事が終わる。この時よりペンキ絵が登場し、それ以来「富山湾」が描かれている。
1997年09月(平成09年) 業者に「長野オリンピック」で客が増えますよと言われ大改修。ただ、松本には何の恩恵もなく経営状態が悪化。
1999年02月(平成11年) 飯田町の土地を売却。借金を返済し、営業形態を個人営業から有限会社に変更。


【運 営】

会社名: 有限会社 翌檜湯
所在地: 松本市田町
取締役: 代表取締役社長 井上靖一
資本金: 3,000,000円



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Posted by 二一宮 帆丘 at 11:57Comments(0)33*オトナの施設見学*

2017年08月03日

【信州大学講師/FM CEOW ラジオパーソナリティ】檜原 優(28)
【信州大学講師/FM CEOW ラジオパーソナリティ】檜原 優(28)

 こんにちは。FM CROWラジオパーソナリティの青木 桐吾(以下、青木)です。今日は身内ですね。
「GO!GO!ナインティナイン」や「サンセット99」でおなじみの檜原 優(以下、檜原)さんにお話を聞きたいと思います。
檜原さんはラジオパーソナリティ以外に大学で一般教養の講師として活躍されているんですが、ここ数年でその講義が人気を博してきています。今日はそちらの方にスポットを当ててお話を聞いていきたいと思います。

 まずは、檜原さんの簡単なプロフィールを紹介いたします。



檜原 優(ヒノハラ ユウ)
安曇野市出身。28歳。京都の人文学系の大学院を卒業後、信州大学にて週2コマ、夏季特別講義1コマの講師職に就く。数年間、注目もされなかったが、SNSで講義風景が拡散してから一躍人気講師へとなる。
主な講義「食べられる雑草の見分け方」(前期・一般教養)、「河川と文明」(後期・一般教養)、「ヒノハラ時計 サバイバル編」(夏季特別講義・体育科目)
また、リスナーにはご存知の通りFM CROW 99.9THzのラジオパーソナリティとしてもおなじみ。

青木: 檜原さん、こんにちはーっす。
檜原: こんちは。身内だと気ぃ抜けまくりだね、青木くん。
青木: そんなことないですよ。先輩として檜原さんのこと、尊敬してますよ。
檜原: どうも。
青木: で。最近、すごい人気らしいじゃないですか!檜原さんの講義。抽選って話聞きましたよ。
檜原: らしいね。
青木: もっと喜ばないんですか。
檜原: だってコマ数増えないんだもん。
青木: そんなもんなんですか?
檜原: 一コマいくらだからさ。生活できないんだよね。それでラジオパーソナリティなんてのもやってるわけ。
青木: 僕も、実家の青果店手伝いながらですからね。コミュニティFMなんてそんなもんじゃないです?
檜原: でも、一日6時間くらい拘束されてあの額はないでしょう!だって・・・
青木: いやいや、お金の話はやめましょうよ!暗くなる!檜原さん、普通の番組の時でもペラペラ話すから!
檜原: だって、少ないんだもん。
青木: ともあれ、人気講師になったんですから来年からはコマ数増えますよ!きっと。
檜原: そうなってくれると嬉しいんだけどね。
青木: 中でも「ヒノハラ時計 サバイバル編」ってやつが人気らしいですね。
檜原: そうそう。夏休みに五日間かけて無人島に行くやつね。
青木: 素人がいきなりそんな過酷なことして大丈夫なんですか?どこぞやのTV番組とかと違ってスタッフとかもいないでしょうし。
檜原: うーん…半分くらいは単位落とすかな。つまりは脱落する。
青木: それは厳しいですね。なのに、人気だと。
檜原: やっぱりね、自然の中で自然に学ぶってのは動物としての本質に関わるからじゃないかなあ。教室で学んでも実践しなくちゃ。
青木: そういう意味では、他の講義も関連しているんですよね?
檜原: そう。「食べられる雑草の見分け方」はまさに無人島での食糧確保に役立つ講義だと思うよ。これを真面目に聞けば五日間は楽に生きられる。逆に聞かないと「アシタバ」ばっかり食べる羽目になる。
青木: 「河川と文明」は一見関係ないようにも見えますが。タイトル堅いし。
檜原: ああ。そっちはあんまり関係ない。院で研究していた内容だから講義している。でも、どうしてそこに集落や国が出来るのかとか地理的、地政学的(?)な意味を知れるという点では無人島でどこに拠点を作るのかを考えるのに応用できると思うけど。
青木: なるほど。檜原さんってアタマよかったんですね!
檜原: どゆこと?
青木: いや、いつもスタジオだと愚痴しか言わないから。
檜原: 愚痴の方が良かった?
青木: いや、そういうわけでは。
檜原: いいよ。もう尺十分でしょ。これから半坪横丁あたりに飲みに行こう。
青木: ええっ!またエンドレスグチ聞かされるんですか!!
檜原: いや。もっと発展的な話をするよ。たぶん。
青木: と、いうわけで飲みに誘われたので今回はここまでと言うことで。大学講師+ラジオパーソナリティの檜原優さんでした。ありがとうございました!本当に行くんですか??
檜原: 行くよ。

♪♪ ナインティーナイーン ポイント ナイーン♪ エフエム クローウ♪ ♪♪



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Posted by 二一宮 帆丘 at 12:12Comments(0)11*マチビトインタビュー*

2017年08月02日

【天白町】雲松荘(ヒマラヤスギソウ)
【天白町】雲松荘(ヒマラヤスギソウ)

【概要】

松本市天白町にある学生用下宿施設。大正年間に建てられた建物はハイカラな装飾が施され、現在も現役で使用されている。道路との境に並ぶニセアカシアが特徴的。
客室総数8部屋(和室6畳)、サロン(洋室12畳+畳小上り4畳)、管理人室(和室6畳+4.5畳+台所4畳)、トイレ2箇所、風呂1箇所。


【沿革】

1921年03月(大正10年) 下宿営業を開始
1937年05月(昭和12年) 陸軍第50連隊に徴用。一時兵舎として使用される。 
1941年06月(昭和16年) 陸軍より変換
1945年04月(昭和20年) 終戦に伴い下宿営業を再開 


【管理人】

小野真美(オノ マサミ)
松本市同心町生まれ。付属中卒業後長野市へ転居。その後千葉で暮らすが下宿の管理人であった叔母の逝去に伴い帰郷、管理人職に就く。



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Posted by 二一宮 帆丘 at 10:01Comments(0)33*オトナの施設見学*

2017年08月01日

【泰麵航路】文本龍磨(フミモトリョウマ)
【泰麵航路】文本龍磨(フミモトリョウマ)

 皆さまこんにちは。本日は檜原に変わりまして青木桐吾(以下、青木)がお送りさせていただきます、九十九長屋商店街のヒトをご紹介するコーナー「マチビトインタビュー」。
 本日は、九十九長屋商店街で人気の屋台「泰麵航路」を経営していらっしゃいます文本龍磨(以下、文本)さんにお話をお伺いしていきます。

まず、はじめに、文本さんの簡単なプロフィールを載せさせていただきます。



文本竜磨(フミモトリョウマ)
松本市堂町出身。立命館大学文学部卒。学生時代に海外旅行をしたのをきっかけに卒業後旅行会社に勤務。5年間務めたのち、退職し、世界一周旅行に出る。帰国後は地元に帰り、「泰麵航路」を開業、現在に至る。タイでも減少しつつある昔ながらの屋台営業にこだわっている。

青木: こんにちは。本日は特別にFM CROWスタジオ前で泰麵航路を営業していただき、公開生放送でお送りしています。
文本: こんにちは。よろしくお願いします。
青木: それでは早速。
文本&青木: かんぱ~い♪
青木: うまいっ!やっぱり仕事中に飲む酒は最高ですね!
文本: あまり飲みすぎて仕事にならないなんてことのないようにしてくださいよ(笑)
青木: 大丈夫ですよ。ですので、文本さんのその奥にあるお酒もください。
文本: ん?メコンですか?はい、どうぞ。このライムを絞って入れてください。
青木: おっ、甘くておいしいですね!ラム酒のようだ。
文本: そうですね。それで癖になる人が結構多いんですよ。
青木: なるほどー。ん?なんだこりゃ?あ!すみません。グラスの下に台本を置いてしまいぐしゃぐしゃにしてしまいました!
文本: 僕のがあるので見ていいですよ。
青木: すみません。えーと、文本さんはこの屋台を始められてどのくらいになるのでしょうか?
文本: 5年ほどになります。
青木: 当時から人気だったのでしょうか?
文本: いえいえ。そんなことありませんよ。今でこそパクチーブームとか言われていますけれど、当時なんてパクチーってカメムシ臭い!みたいな感想ばかりで、癖のあるタイ料理をなかなか受け入れてもらえなくて。
青木: そうなると時代が味方したとも考えられますね。
文本: それはあると思います。でも、最初はやはり工夫して、パクチーの代わりにミツバなどを乗せてたりしてやっていましたね。
青木: 他には工夫されたところなどはございますか?あ、メコンもう一杯ください。
文本: はい、メコンです。工夫したと言いますか、出すものはインスタント麺をベースにしたものってところにこだわりがありますね。
青木: インスタント麺?
文本: はい。タイで5~10バーツくらいで売っているものなのですが、私が10年ほど前タイを訪れた時は、それに野菜やスパイスを店ごとに調整して30バーツくらいで売っているお店が通りに一軒はあったんですよ。先日行ったときはだいぶ減ってしまっていましたが。
青木: なるほど。
文本: その屋台ってそもそも簡単に作れて美味しいっていうジャンクフードとファストフードみたいなものだと思うんですよね。
青木: ははあ。それでインスタントにこだわっていられると。
文本: それもありますね。あと、安く提供できるというのも利点の一つです。
青木: なるほど、それではそのこだわりの一品をお願いできますでしょうか?あ、あとメコンもう一杯。
文本: じゃあ、とりあえずメコンだけ・・・。
青木: うーん、うまい!(メコンが)
文本: はい、お待たせ。
青木: はやっ!早いですね!
文本: 茹でるだけですから。あとは仕込んであるトッピングを乗せて出来上がりなんでね。
青木: ほほう。玉ねぎのスライス、ライム、もやし、鶏肉の素揚げ、パクチー、ネギなど盛りだくさんです。それではいただきます!
文本: あ、こちらの調味料もお好みで。唐辛子を酢につけたものと、砂糖、唐辛子のパウダーです。
青木: じゃあ、全部乗せでいかせてもらいます。うおっ!辛っ!これはメコンと言うよりビールが合いますね!汗が噴き出してきました!
文本: これを炎天下の下で汗かきながら食べるのが乙ってやつですよ。ビール、サービスさせてもらいます。
青木: さっきと違う銘柄ですね。象の柄です。
文本: ビア・チャンですね。さっきのはシンハビール。
青木: こちらはちょっと濃い目のビールですね。どちらもうまい!
文本: タイ料理は暑い国の料理ですから夏が最高のスパイスですよ。
青木: いやあ、こうやってバスがばんばん通る中排気ガスにまみれて食べる飯も格別ですね!みなさんも、商店街で見かけましたらぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか?ちょっとした軽食にももってこいですよ!さて、普段はどちらに行けば出くわすことができますでしょうか?
文本: 主に、大門沢川沿いの屋台街、もしくは同心町周辺でも営業しています。その日の気分ですので探してみてください。
青木: いやあ、本日は「泰麵航路」文本さんにお話を伺いました。どうも、ごちそうさまでした!
文本: また、おまちしております(笑)



※文章の大半(全部)が虚偽、虚言、妄想の類で塗り固められています。ご視聴の際は十分ご注意ください。

  


Posted by 二一宮 帆丘 at 10:29Comments(0)11*マチビトインタビュー*

2017年07月31日

国宝松本城は正装で―松本市 指針を策定
国宝松本城は正装で―松本市 指針を策定

 「松本城はもともと政治の中枢。筑摩県庁や裁判所が置かれていたこともある格式高い場所だった。」そう話すのは松本市教育委員会のとある男性主査(43)。彼は市役所庁舎の最上階から松本城公園を見下ろし利用客で混み合う様子を見て顔をしかめた。

 同市教育委員会は昨今の観光ブームで入場者数が昨年同月比55%増となる一方、松本城公園内でお花見や夕涼みを楽しむ市民や観光客の態度が「品格を損なっている」と問題視していた。このことを受け、同市では「国宝松本城利用者指針」を8月1日付で策定し、9月1日から施行予定だ。制限を受けるのは松本市が主催もしくは共催しない松本城公園内でのイベントおよび利用者の服装等の制限。

 イベントに関しては「市またはその長が不当と認める場合は主催者の意向と関係なく開催の不許可、もしくは開催中であっても中断することができる」と明文化。また、服装に関しても、「半袖、半ズボン、サンダル等、肌が露出する服装での入場を禁止。男性の場合紋付き袴、スーツなどが望ましい」とした。

 このことを受け、同市本町に住む女性(38)は「新博物館や新市庁舎の建設にあたり工事費や建設場所、業者の決定について不透明な部分が多すぎる、むしろ行政に品格ある態度を求めたい」と話し、また開智に住む男性(52)は「忘年会や暑気払いなどのシーズンでは明らかに二日酔いと思われる職員が窓口の奥でぐったりしているのを見かける。また、ふらっと外に出ていく職員がどこに行くのかと思ったら職員専用の喫煙所だったりする。こんな人たちが品格をどうこう言える立場なのか」と怒りをあらわにしていた。

 なお、市が策定した指針を受けて、9月以降ビアフェス等4つのイベントの中止を勧告している。市民の憩いの場である松本城公園をはじめとするあがたの森公園、アルプス公園など市内に数多くある大型都市公園。そもそも、都市公園は誰がどのように利用するのが目的なのか。その使い方にも波紋を呼びそうだ。

(文・青木桐吾 FM CROW 99.9THz ラジオパーソナリティ)


※文章の大半(全部)が虚偽、虚言、妄想の類で塗り固められています。
※記事内の名称・人名当は実際に存在する団体・人物等とは一切関係がございません。
※ご視聴の際は十分ご注意ください。
  


Posted by 二一宮 帆丘 at 10:01Comments(0)00*FM CROWニュース*

2017年07月28日

【松本市西町】Ishohara to-fu.co.LTD
【名 称】
Ishohara to-fu.co.LTD
(日本語名:磯平豆腐株式会社)


【概 要】

松本市西町で豆腐の製造・販売・通販を行う。豆腐のほかに豆腐加工品の油揚げ、厚揚げ、おから、豆乳なども加工・販売している。

同社の特徴として、豆腐の鮮度を落とすことなくスピーディーにインターネット販売する「Isohira prime service」(月額会費500円)がある。県内、および隣県ならば午前中までの注文で当日納品が可能。その他地域でも主に空輸を駆使し翌日午前中納品を実現している。このサービスについて同社社長は記者会見冒頭で「豆腐の角に頭を打ったような衝撃をお伝えしましょう!」と言い発表したところ、取材陣からは「どこかでやってるサービスの二番煎じだ。豆腐の角に頭を打ったように手ごたえがない」と炎上した。


【店主略歴】
磯平小豆(いそひら あずき)
京都大学農学部資源生物化学科および食料・環境経済学科卒。同大学院農学専攻卒。農学博士。卒業後、父が営む磯平豆類販売から仕入れた大豆と、ネパールで拾ったという岩塩の成分を分析して作った「にがり」を使用した豆腐製造・販売を行うIsohira to-fu.co.LTDを創業。


【主な製品・サービス】

豆腐400g(180円)
豆乳800ml(330円)
Isohira prime service(月額500円)同社製品を当日、または翌日に配送するサービスを受けられる。
Isohira exective service(月額4999円)月に二度、同社製品の詰め合わせが贈られるサービス。
Isohira service ONE(月額34999円)毎日、豆腐2丁、豆乳800ml、その他製品2品が発送されるサービス。


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Posted by 二一宮 帆丘 at 12:21Comments(0)22*商店情報*

2017年07月28日

【松本市西町】磯平豆類販売
【名 称】

磯平豆類販売


【概 要】

世界各地から集めた豆類、および豆類の加工食品、発酵食品、加工製品を販売する商店。2014年開業。
店先には細かく区切られたケースの中に様々な色、形の豆類が陳列され、量り売りで100gから購入が可能。


【店主略歴】

磯平 凡(いそひら ひとし)
農業系の大学を卒業後、県農産試験場勤務。マメ部ダイズ課長、マメ部開発本部長を経るも早期退職。
地元に戻り現店舗を開業。磯平醸造商店を営む磯平穣蔵氏の次男である。

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Posted by 二一宮 帆丘 at 11:11Comments(0)22*商店情報*

2017年07月28日

【松本市西町】磯平醸造商店
【名 称】
合資会社 磯平醸造商店

【概 要】

松本市西町にある酒、味噌、醤油などを販売する商店である。1863年(文久3年)創業。初代店主の名「醸造」を商店名としている。現在の店主磯平穣蔵氏で8代目に当たる。味噌および醤油は敷地内工場で生産。生産量は味噌年間7トン、醤油年間5トンである。その他県内の製品を主に仕入れ販売も行う。


【店主略歴】

磯平穣蔵(いそひら じょうぞう)
信州大学農学部卒。国内大手の醤油メーカーに8年勤務後、先代の磯平豆太(いそひら まめた)の跡を継ぎ32歳で店主となる。
創業から一貫して量り売りをしてきたが、食文化の欧米化により味噌・醤油の消費量が伸び悩む中、口広のボトルに詰めた少量の製品を販売。冷蔵庫の中でも邪魔にならない手軽さと、パッケージのデザインの良さが受けて店舗を少し拡大した。


【沿 革】

1863年:初代 磯平醸造が下総から移住。現在の地で「下総屋」と言う醤油の製造・販売店を商う。
1923年:女店主の四代目 磯平そいが現在の店名「合資会社 磯平醸造商店」に改める。


【主な製品】

<味噌>
 味噌[赤]360g・720g
 味噌[白]360g・720g
 味噌[黒]360g・720g
 味噌[合]360g・720g
 
<醤油>
 磯平醤油500ml
 磯平醤油4000ml


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Posted by 二一宮 帆丘 at 10:01Comments(0)22*商店情報*

2017年07月27日

【防災施設】九十九長屋商店街の火の見櫓
【名称】

正式名称:九十九長屋商店街連合会防災部立 火災監視塔
通称:九十九長屋商店街の火の見櫓


【構造】

鉄骨トラス構造 高さ8.9m~18.6m


【概要】

明治20年に19の商店街および町会、20箇所に設置された火の見櫓が基本となっている。
その後、太平洋戦争を経て一帯は闇市となり昭和26年ばらばらだった各商店街を束ねる商店街連合会が設立されると、戦後の財政難に苦しむ松本市に変わり、商店街の出資金で昭和29年に新たに建設された。現在ある20箇所のうち18箇所は当時のものが使用されている。


【成り立ち】

明治初期:侍の世が終わると、現在の九十九長屋商店街エリアに多く住んでいた、中級・下級武士の生活は困窮した。
明治中期:役所などにも登用されなかった武士の中に大工や左官、また小売などの商売を始めるものが出てくる。
明治19年:大火で東町、和泉町の一帯が焼ける。
明治20年:住民の出資で19の地区20箇所において木造の火の見櫓が設置される。
明治35年:ほぼ現在の商店街と同様のエリアに商店がまばらに存在していたと考えられる。
大正06年:この年の調査により、現商店街エリアの商店数は383店となっている。
昭和戦前:記録では少数の小火が起きたが、大火になった記録はない。
昭和戦後:闇市として栄え、商店街エリアは高密度・広範囲に広がる。
昭和29年:商店街連合会の設立に伴い連合会の資金により老朽化した火の見櫓の再建がされる。
昭和60年:老朽化した火の見櫓の一斉改修工事(そのうち老朽化した3番、16番火の見櫓は新たに建設された)


【設置場所】

第壱番火の見櫓:沢村一丁目(松本測候所跡敷地内)

第弐番火の見櫓:口張町

第参番火の見櫓:同心町

第肆番火の見櫓:萩町

第伍番火の見櫓:天白町

第六番火の見櫓:中ノ町

第七番火の見櫓:東ノ町

第八番火の見櫓:西町

第九番火の見櫓:旗町

第拾番火の見櫓:堂町

第拾壱番火の見櫓:徒士町

第拾弐番火の見櫓:安原町(消防団第一分団詰所と併用)

第拾参番火の見櫓:下町

第拾肆番火の見櫓:下下町

第拾伍番火の見櫓:安原横町

第拾六番火の見櫓:新町(新町緑地内・福徳稲荷横)

第拾七番火の見櫓:袋町(袋町公民館横)

第拾八番火の見櫓:田町(商店街立卸売場前)

第拾九番火の見櫓:新田町

第弐拾番火の見櫓:沢村一丁目(大日堂敷地内)





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Posted by 二一宮 帆丘 at 11:41Comments(0)33*オトナの施設見学*

2017年07月26日

【沢村一丁目】99 Dragons MATSUMOTO
99 Dragons MATSUMOTO (集合住宅及び複合施設)

【概要】

1989年に松本市沢村一丁目に建てられた複合施設。鉄筋コンクリートおよび鉄骨造(SRC造)地下1階地上12階建。延床面積9600㎡。建物の高さは約40m。地下駐車場および地上に十台程度の駐車スペース、駐輪場がある。

上層階(6階~12階)の住居区画は北アルプスの眺望を売りとする。下層階(地下1階~地上5階)は隣接する「九十九長屋商店街」との調和を計るため小規模店舗を核テナントとした複合施設を形成している。平成に入って以降で商店街内に作られた大型施設の中でもっとも地域と調和がとれていると評価されており、下層階のまるでどこかのスラム街の市場を彷彿とさせる様は「九十九長屋より九十九長屋らしい」と言われている。

外観は煉瓦調タイルを基調としているが、近年、建物内に入る100以上のテナントが勝手気ままに看板を取り付けているため、不思議な様相を呈している。


【沿革】

1986年10月 地域住民説明会において「商店街との調和」を最優先する方針を打ち出す。
1987年03月 地域住民説明会にて基本計画の大筋合意。
1987年08月 建築許可
1987年09月 着工
1988年11月 竣工 完成見学会を経て、テナントおよび住民の募集を開始。
1989年05月 グランドオープン(この時点で商業区画は「今日オープンしたとは思えない乱雑さ」と評価され、商店街には概ね歓迎された。)
2009年12月 耐震工事完了
2011年04月 住民以外でも入れる最上階の展望台およびビアガーデンが始まる。 


【運営】

株式会社 碌々不動産開発(英語表記:66 estate dvelopment.co.ltd)
長野県松本市新町1-66



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Posted by 二一宮 帆丘 at 09:53Comments(0)33*オトナの施設見学*

2017年07月25日

【乾涸旱商店】涸沢ひでさん
こんにちは。今日は朝から雨模様。皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私、檜原優(以下、檜原)がお送りする九十九長屋商店街のヒトをご紹介するコーナー「マチビトインタビュー」です。

今回は、商店街で「乾涸旱商店」(カンカラビショウテン)を営んでおられます、涸沢ひでさん(以下、涸沢 ※敬称略)へのインタビューの様子をお伝えします。


檜原:こんにちは。本日はよろしくお願いいたします。
涸沢:お願いします。
檜原:それでは、まず初めに涸沢さんの簡単な経歴を教えていただけますでしょうか?
涸沢:はい。私はもともと東京の生まれでして、松本に来たのは太平洋戦争の末期の学童疎開の時です。もともとこちらには母の兄が住んでいましたので、そちらを頼って来たのが初めてです。
檜原:当時はどちらにお住まいだったんですか?
涸沢:はい。当時、叔父は旭町で和菓子屋を営んでおりましたので、そちらに間借りする形で住んでおりました。
檜原:そうなると、陸軍第五十聯隊のお膝元と言うことになりますね。
涸沢:そうですね。当時の旭町は松本で一番「軍都」と言うのにふさわしい町だったと思います。和菓子屋のお客さんも大半は帰郷する兵隊さんだったようです。毎日のように(今の大橋通りですか)街道を出征する兵隊さんがラッパを鳴らして通っていて、とても賑やかだったのを覚えています。
檜原:結局、松本で終戦を?
涸沢:そうなります。それで、東京の自宅は空襲で焼けてしまったものですから、家族はそのあと鷹匠町の長屋を借りましてそのまま松本に住むことになりました。父は企業疎開していた会社に勤めることができたのも幸運だったかもしれません。私は、地元の中学、蟻ケ崎の女学校と卒業して、見合いをしたのです。
檜原:それが、乾涸旱商店のご主人だったと。
涸沢:そうですね。当時はまだ先代がおりましたので、ただの若造でしたけれども(笑)
檜原:当時のお店の様子はいかがでしたか?
涸沢:とにかく物資が不足していまして、大変だったと記憶しています。
檜原:と、言いますと?
涸沢:売るものがないんです(笑)お客さんは来るのですが売るものがない。こちらは売りたいけのだけれども(笑)
檜原:なるほど。その頃はどこも物資が不足していたと聞きます。大変ご苦労されたのでしょうね。
涸沢:ところが、干物ってものは便利なもので、料理で言ったら天ぷらみたいなものなんですよ。
檜原:よくわからないですが。
涸沢:天ぷらにすれば大体なんでも美味しいじゃないですか。同じように干物にすると旨みが増すというのでしょうか?美味しくなるんです。
檜原:!!これは、今の乾涸旱商店の原型とも言える革新が起こったところじゃないでしょうか?
涸沢::そうなるかもしれません。今の方はびっくりされるかもしれませんが、梅雨時期になれば農村の田んぼまで出かけて蛙を取って干物にしたり。農家さんは苗を取られるんじゃないかとずっと見張ってらっしゃいましたけれど、私たちは蛙にしか興味がありませんでした。
檜原:その他には?
涸沢:そうですね。虫などは煎って粉上にしたりは当然ですし、烏、鳩、雀などの鳥は燻製のようにして売ったりもしました。
檜原:それが半世紀以上経った今でも続いているということですね。
涸沢:一時期、ゲテモノだと言われた時期もありましたが、時代は巡るものなのでしょうね。今は「なんの食材だか分からないけれど、とにかく美味しい」と評判をいただいています。今では国内だけでなく海外からも珍しい干物(合法)を仕入れて販売させていただいております。
檜原:ちなみに、今、スタジオに持ってきていただいている干物を戻して食べているわけですが、これ、とても美味しいんです。ちなみに、これは何なのでしょう?
涸沢:聞きたいですか?
檜原:・・・。やめておきます。
涸沢:その方が賢明だと思います。
檜原:ええ・・・。本日は「目には目を。乾物には潤いを。」の「乾涸旱商店」の涸沢ひでさんをご紹介しました。ありがとうございました。
涸沢:ありがとうございました。



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Posted by 二一宮 帆丘 at 10:01Comments(0)11*マチビトインタビュー*

2017年07月23日

松本市立 開智中学校
<概要>
開智中学校は1907年(明治40年)に開校した新田町にある市立の中学校。

開校当時からある三階建て煉瓦組石造の
講義棟(現・特別教室棟、資料館)および鍛錬場(現・図書室)は
重要文化財に指定されている。

<校歌>

<1番>
信濃の春に 希望の光 浴びて輝く 千万の花
根ざせよ 北アの峯々に 根ざせよ 我らが古城の郷に
いざ進まん 我ら若人よ 手を組まん 共に隣人と
嗚呼 深志ヶ丘に 耀く我ら 開智中学校

<2番>
信濃の夏に 叡智の力 受けて煌めく 一億の星 
照らせよ 女鳥羽の川面を 照らせよ 煉瓦の学舎に
いざ進まん 我ら若人よ 智を拓かん 共に隣人と
嗚呼 深志ヶ丘に 尊き我ら 開智中学校

<3番>
信濃の秋に 文明の風 吹いて昇る 高嶺の空に
仰げよ 優雅に流るる雲を 仰げよ 心大きく持ちて
いざ進まん 我ら若人よ いざ集え 共に隣人と
嗚呼 深志ヶ丘に 気高き我ら 開智中学校

<4番>
信濃の冬の 風雪耐えて 萌えて立つは 若木たち
経ちゆく 月日はいや早く 堪えて 発ちゆく学舎を
いざ行かん 我ら若人よ 認め合う 友よ隣人よ
嗚呼 深志ヶ丘の 忘れまじき 母校開智
嗚呼 開智中学校

(※4番は卒業式のみに歌われる)


※文章の大半(全部)が虚偽、虚言、妄想の類で塗り固められています。ご視聴の際は十分ご注意ください。    


Posted by 二一宮 帆丘 at 18:03Comments(0)33*オトナの施設見学*

2017年07月19日

FM CROW 99.9THz
【概 要】

FM CROW 99.9THzは松本城の北部、九十九(つくも)長屋商店街内、安原町にあるコミュニティFM。

運営は「一般社団法人 九十九長屋商店街連合会」の外郭団体「NPO法人99コミュニティFM」が運営している。

商店街内にある20カ所の火の見櫓のうち11カ所にアンテナを設置し99.9THzの領域で1982年より放送開始。

市街中心部より若干の高台にある地域から電波を飛ばしているため、
コミュニティFMながら商店街以南の松本・塩尻地域約12万人が
受信可能となっている。

そのため番組の中心は商店街の情報だが、それのみならず時には商店街を飛び出し、
場合によっては海外からの公開生放送(2002年放送「祝!FM CROW20周年企画 旅烏のソルトレイクシティ五輪生中継」等)
を実施したこともある。



【沿 革】

1980年04月 「NPO法人 九十九長屋商店街コミュニティFM準備室」
         を九十九長屋商店街連合会館4階に設置。
1981年10月 事業計画が認可される。
1981年12月 商店街内の火の見櫓11カ所においてアンテナ設置工事を実施。
1982年06月 試験放送開始。第一声は
         「あそこの頑固ばばあ、早く死なねえかなー え?もう放送されてるの?」
1982年11月 本格放送へ移行。第一声は
         「皆さま初めまして。こちらは99.9THz FM CROW がお送りします。」
1987年11月 開局5周年企画「松本城総堀トライアスロン」
         (許可を得ずに行ったため、その後3か月の放送停止命令が国・県・市より下る)
1990年04月 本社を連合会館4階から隣のビル1階へ移転。
         法人名をNPO法人99コミュニティFMに変更登記。
1992年11月 開局10周年企画「祝!FM CROW10周年企画 銭湯一夜物語」
         (DJが一日銭湯に入り、お客さんにインタビューするもの)
1997年11月 開局15周年企画「FM CROW20周年企画 旅烏の日本縦断」
         (烏の格好をして3か月かけて徒歩で日本を縦断)
2002年02月 開局20周年企画「FM CROW25周年企画 旅烏のソルトレイクシティ五輪生中継」
2007年09月 企画番組でUFOを呼んでいたら、本社社屋に落雷。
         これにより本社社屋およびスタジオが全焼。1カ月にわたり放送中断。
2007年11月 開局25周年企画「寒空の下からこんにちは」
2012年11月 開局30周年企画「FM CROW30周年企画 旅烏の豪州より皆既日食生中継」



【主な番組(放送中)】

平日午後13:30-16:30 「GO!GO!ナインティナイン (DJ:檜原優)
平日夕方18:00-19:45 「サンセット99」(DJ:檜原優)
土曜午前09:55-12:55 「QQ [Quality & Qontitiy]」(DJ:堂本ゆず葉)
日曜正午10:00-14:00 「モノクロ サンデー!」(DJ:青木桐吾)



【不定期の番組】

開局〇〇年企画 ※5周年ごとに企画されている。



【過去の主番組】

平日午後12:30-15:00 「か・ら・ふ・る」(DJ:浜田美佐子)
土曜午後12:00-16:00 「半ドン!商店街へおいでませ!」(DJ:大河内靖子)



※文章の大半(全部)が虚偽、虚言、妄想の類で塗り固められています。ご視聴の際は十分ご注意ください。  


Posted by 二一宮 帆丘 at 10:17Comments(0)22*商店情報*